時間薬。
2014年 09月 08日
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人の気持ちは流動的で、絶対的なものではない。
時の流れは変化をもたらす。
でも、それは必ずしも『正しい』とは言えないとも思う。
人はやはり『性善説』に依るものが大きいのだろう。
許しがたい仕打ちを受けたとしても、時が経てば怒りは薄れていって、やはり基本的には自分自身の良心に従うものなのだろう。
それは、本当の意味で相手を許しているわけではなく、怒りを維持することに耐えられなくなって、自分自身が怒りの感情から解放されたいがために、怒りの感情を手離すだけのことなのだ。
だから、許しているわけではないし、許されたわけではない。
ましてや、理解したわけではない。
もう解放されたいだけなんやと思う。
他者を傷つけて許されるなんて、基本的にはあり得ないんやと思う。
by minako_715
| 2014-09-08 23:38
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