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新撰組!『源さん死す!』
2004年 11月 15日 |
”祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
   
   沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
   
   驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。
    
猛き人もついに滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。”




ついに!源さんまでもが逝ってしまいました、、、。
もう号泣でした。(T_T)
演出については賛否両論あるでしょうが、そんなコトはどーだっていいです。
(源サンさんが銃撃されるところが「マトリックス風」だったとか、、、近藤サンに挨拶に行った時に「ゴースト風」だったとか、、さ。そんなコトは、どーだっていいのよ!)
ココ毎回、誰かが死んで行ってて、、、毎回号泣してるわけですが。(T_T)
源さんって、新撰組の「良心」だったと思う。
土方さんの暴走と隊士のパイプ役ができるのは、源さんしかいなかったと思う。
源さんがいたから、「新撰組」はまだ組織としてまとまっていられたんぢゃないかな?

今まで、幕末ってぜーーーーんぜん興味なかったんだけど、つくづく、この時代に生を受けなくて良かったと思う、、、今日このごろ。
自分の「正義」がある日突然、まったく違う価値観に変わってしまうなんて、きっと耐えられないって思うもの、、、。
あの時代に生きてた人たちって、誰も「悪者」ぢゃないんだよね。
みんな、自分の「正義」を信じてひたすら一生懸命に生きてるのに、、、ね。
で、結局、犠牲になっちゃうのは、『トップの人間』ではなく『庶民』もしくは『庶民に近い人たち』!
『大政奉還』以前は徳川幕府が「官軍」で、それを倒そうとする勢力が「逆賊」だったのに、、、(たとえば、会津の松平容保公とか新撰組とかが「官軍」、長州、薩摩とかは「逆賊」だったのに)『大政奉還』以降はまったく逆の立場になっちゃうんだから、、、。
なのに、徳川慶喜なんてすぐに逃走して、維新後も趣味に生きて77歳(1913年)の寿命をまっとうしてたりするし。(怒)
結局、日和見主義で世渡り上手なほうが、長生きは可能ってコト?
ま、『長生き』だけが幸せではないけど。

なんだかなぁ、、、、、。(_ _;)



芹沢鴨→勤王攘夷派:新撰組の内紛にて暗殺(1863年/34or35歳)

山南敬助→尊王攘夷派:「新撰組」の規則違反により切腹(1865年/32歳)

坂本龍馬→勤王開国派:「大政奉還」後、京都・近江屋にて暗殺(1867年/33歳)

伊東甲子太郎→勤王倒幕派:「新撰組」離脱後暗殺(1867年/32歳)

藤堂平助→勤王倒幕派:京都・油小路にて暗殺(1867年/23歳)

井上源三郎→尊王佐幕派:鳥羽伏見の戦いにて殉職(1868年/39歳)

近藤勇→尊王佐幕派:江戸にて投降後、処刑。(1868年/33歳)

沖田総司→尊王佐幕派:近藤勇の処刑後、1ヶ月後に結核にて病死(1868年/26歳)

原田左之助→尊王攘夷派:江戸帰還後、新撰組と決別。上野彰義隊に参加し戦死(1868年/28歳)

土方歳三→尊王佐幕派:戊辰戦争時、五稜郭にて戦死(1869年/34歳)

桂小五郎→勤王倒幕派:新政府の要職を歴任後、病死(1887年/45歳)

岩倉具視→公武合体派:新政府の要職を歴任後、病死(1883年/59歳)

西郷隆盛→勤王倒幕派:維新3傑とされるも、西南の役後敗走、自殺(1887年/49歳)

島田魁→尊王攘夷派:戊辰戦争に参加後、京都・西本願寺の守衛となった。(1900年/72歳)

永倉新八→尊王佐幕派:江戸帰還後、新撰組と決別するも後に近藤、土方の墓を建てる。(1915年/76歳)

斉藤一→尊王攘夷派:戊辰戦争時に会津に留まる。その後、警視庁にて勤務。(1915年/71歳)

松平容保→勤王攘夷派:最後まで幕府派として戦うが投降、後に日光東照宮司となり、病死(1893年/58歳)
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